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旦那の独り言&茶太郎(カールとも言う)の進捗画像 (12)

今夜いろいろありまして、
カミサンが心身ともにバテてしまい(フテ寝とも言う)、
私が代理でブログ担当するハメになりました。

さてさて、ここ数日何かと慌しい我が家。
そりゃね。仕方ないですよ。
既に人間と猫の比率はダブルスコアですし・・・・。
時々、何となく思うのですが、
人間、ひいては自分が動物と身近に暮らす意味って何だろ?
思えば、実家にいた子供の頃から両親の決定のもと、
犬や猫がいたことも長かったのですが、正直言って、
そこに動物がいる意味なんて全く考えてなかったです。

マジで。

人が動物と暮らす衝動って、暮らしのための家畜ってのもあるし、
癒やされるからとか気持ちが安らぐからとか、
価値観は様々ですよね。

でも、

自分は最近猫達と暮らすなかで色んな機会に
人間の業の深さというものに気づかされるんですね。
ウチのミケやチャッコが施設からやってくるときも
新たな家族を迎える嬉しさの反面、
偶然の差で即日処分されている子猫がいることを意識したり、
壁一枚隔てた向こうにFIVの子がいるのに、
こちらではミケやキムがノンビリお腹を出して眠っていたり、

それこそ、

自宅から見下ろせる河川敷に寒空や飢えに耐えている(であろう)
猫たちがいるのを意識したり。。
そこで何故人の業を意識するか?というと、
こんな残酷なコントラストの多くが
人間のエゴの結果だからに他ならないのですね。
人間の生は意識せずとも生きているだけで
色んな犠牲のうえに立脚しています。

だって、

普通にカミサンの好きな餃子を食べたって
お肉が入ってるわけですよ。
だからって、超ベジタリアンになりましょう、
なんてことを言うつもりはなくて、
自分の生が色んな犠牲に成り立っていることから目を背けず、
その生を使って、そのときできる最善のことに使おう、と思うのです。
自分は。

また、生と死。
これだって、普段の生活の中で意識するのって稀ですよね。
もちろん、いつか自分の近しい人、
自分自身にだって確実におとずれるもの。
これからも目を背けず向き合っていこうと思ったりします。

だってね、

子猫が捨てられていたり、事故死していたりしたとして、
仮に気づかないフリして素通りしたとしても、
その行為を責められることも稀ですよね。
他の方に自分やカミさんの価値観を見習ってもらうような
立派なフィロソフィーを持ってるとも思ってないし、
何が偉いのかを図るモノサシだって時代や環境で
絶対的なものを探すほうが難しい世の中なのかもしれません。
でも、これは個人的な価値観として受け止めてほしいのですが、
近所で見捨てられずに保護した猫を動物病院に連れて行き、
検査結果で医師からFIVを告知されたとき、
カミサンが人目も憚らずに大粒の涙を流したこと、
これは自分にはすごく尊いことに思えたのです。
人間はエゴの生き物で、色んな犠牲も強いてるのかもしれない。
でも、少なくとも愛情だけは忘れずに、
自分をコントロールしながら、生を有効に使っていきたいと思う、
そんなことをふと思う、小市民なダンナの一人言でした。。



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